“コミュ障”はコミュニケーション障害と皮肉を込めて呼ばれる俗称であり、精神疾患などの、疾患や障害ではない。インターネットのスラングである。
これらは、オンラインだけに限らず、オフラインの現実でのやり取りでも同様の現象と合間見えることがある。
現実においてのコミュ障は厄介だ。

インターネット上のオンラインにおいても

手紙を書く機会がないからだろうか?
或いは、ビジネス文書を各機会がないからだろうか?
最近の若い世代はどうもチャットやコメント形式の短文しかうてないような メールが多い。

とても他人にメールを送るとはとてもじゃないが思えない形式の問い合わせなどが多い。
要点だけしかなく、意味が分かりにくいどころか送り主が誰なのかも分からない物が多い。

ビジネス文書や他人行儀のメールで送れとはいわないが、問い合わせや、質問でかなりぶしつけな内容の文体が多いのは受け取るほうとして不愉快になってしまったりする。
インターネットは年代も年齢も、社会に置ける立場も異なる人が不特定多数とやりとりする機会がある。
しかしオンラインゲームなどのやりすぎのせいなのか?あるいは匿名掲示板に入り浸っていたせいなのか?或いは中身が本当に小学生とかなのかはわからないが不躾な人は意外とおおく眼にするものだ。
片言すぎて受け取るほうとしては全く意味が理解できない内容も実に多い。

初対面の人と話す会話ではないことが多いために、話が理解できない。
むしろ言葉がたらなすぎて凶悪に見えたり、粗暴な印象しかうけない書き込みが多々見受けられる。
一体彼らは人口知能化何かが今育まれているテスト用のボットか何かなのかだろうか思えてしまう。

「タヒね」という言葉もたまに問題になったりする事はある。
『コロすではなく他力本願なんだ?』ということで突っ込みの議論もなされるが、世代が変わるというだけでは済まされない日本語の劣化がインターネットの普及によって、実に弊害が大きく出ている気がする。文章に触れる機会はインターネットの普及において相当増えたはずなので活字離れが叫ばれていた出来事はかなり昔の出来事の感さえするが、言葉の意味を考えるという機会も減っているのではないか?とも考えられそうだ。

辞書を引くことですから検索することで一瞬で解答が導かれる。図鑑を探したり辞書を何年度のものかをじっくり見比べる機会も今は無いだろう。
片方では、メールやチャットなどのコミュニケーションは出来ても、電話を用いた業務は苦手だったりコミュニケーションツールとしての通話は苦手な若者も実に多い印象はある。
21世紀現在PCとモバイル端末の急激な普及と発展で世帯間の文化差の水準は課題は多いのかもしれない。

最後に

「挨拶が出来ない」というほど端的なものではないにしても、携帯電話やインターネットサービスの増加と依存で通常のコミュニケーションが相当おろそかにされている気がする。
さすがに便所飯などは都市伝説だと思いたいが、昔某所のトイレ大において、携帯電話をいじっているかのような若者が実に多く居た事などを考えるとわりかし有りそうなのも怖い面である。