殺人事件被害者の実名報道についての是非
突発的な事故や、猟奇殺人ならば
被害者の落ち度はないといえるだろう。
文字「殺人事件被害者の実名報道について」
しかし出会い系サイトや、SNSを通じたサービスを利用しての事件だと社会的な影響が有るといえる。
今回の事件は、インターネットとスマートフォンがほぼ全国民に普及した影響度の広さが大きい事による勢いもあるのだと考えたい。
交通事故の被害者だったとしても大規模なものだとプライベートの写真が暴かれたり報道されるリスクはある。
ましてや事件の被害者だったりするとその比率は大きくなる。

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実名報道

福島県の17歳高校3年生の母親が、この文章を書いたのは11月9日、神奈川県座間市「9人惨殺」事件の白石隆宏容疑者(27)が逮捕された9日後。殺された娘の顔写真や実名を報じることをやめてほしいと、訴えるための書面だった。しかしほとんどの報道機関が、この嘆願を黙殺したのだった。

http://news.livedoor.com/article/detail/13886428/

無くなった人の権利が法律的に確立していないのが問題点として有るだろう。
遺族は存在する事例が殆どのケースになるだろうが、家族への影響は残る。
これを保障・支援できる内容も無い。
風評被害が立つ可能性すらある。兄弟などいるとその後の生活に影響を甚大に与えかねない要素にもなる。
被害者9人は15~26歳で
未成年者が4人いた。
ということですが、マスメディアによって、さらし者になっている感じは否めない。

実名報道の意味

社会的な認知の高さはうわ抜けている。
テレビはONにしていれば受動的に入ってくるメディアであることからインターネットの比ではない受け型のツールだ。
危険を知らせるなどのツールとしては役に立つがノイズも山のように入ってくる上に人が対抗してその情報を分別するには電源を切るしか方法が無い。

誰が亡くなったのか?ということは関係者や近隣住民には最も関心が強いことだといえる。
しかし関係性が無い人ほど重要度は低く日本の全ての人が知る必要が無いという面は有る。

  • 実名報道の意味⇒リアルである事は強く感じる
  • 実名報道されなければ、現実味が薄れるというのはある気がする。
  • 仮に被害者が誰なのかというのが報じられないと、現実味がわかないという危険性も出てくる気がしなくもない。
    しかし顔写真とかまで引っ張り出すのも違和感はある。

今回の事件はむごたらしい事件であることから考えても顔写真までマス媒体が報じるというのはやりすぎなのではという面は否めない。

打開策

「テレビ見なければいいんじゃね」ということと
「インターネット見なければ」と思うかもしれない。
ただし当人たちがそうしたとしても、周りの第三者はそういう媒体から情報をうけとり知る事となる。
これは何十年か後にも過去の痛ましい事件として報道される可能性もあり一生ついてまわる。
法的な整備が行われない限りは、実名垂れ流しは永遠に続く可能性は有る。
実名報道のダメージで、関係者フルボッコにされる可能性は強い。
⇒ただし、中学生とかでも自殺事件があるように、自殺そのものが稀有な事件でもない日本の闇が問題だと思う。

  • 井戸端会議が好きな国民性。
  • 陰口が当たり前の日本。
  • 働き盛りの世代でも過労自殺とかもある社会⇒世の中が狂っている

自殺に対する捉え方が根本的に変に思えてならない。
実名報道云々の前に本当に亡くなった人を考えているのかいささか疑問に感じる点は有る。

終末医療のような場合の致命的な事例を除けば普通の人は病の痛みなどから死を望んだりすることは無い。
医学的に健常なのに自殺を望むというはの精神的な面であり、この要素は家庭・学校・社会などの要素が大きなファクターになりうるため、判定のしかたも千差万別になる。

犯行

犯罪行為は犯罪を行ったものが悪いのは明白
ただし犯罪に巻き込まれる危険性や予防の考え方の必要性も有る。
事件というものが単直に出会いがしらの事故で死に至ったというのであればまだしも、
数日間にわたりコミュニケーションをとり、出会い、事件にいたるというパターンが稀な例という異質で危険度が高いという問題もあるのだろう。

第三者的には、遺族のその後とか関心も持てないし、しょせん他所の火事というレベルのネタなのでそのまま報道してしまう事例は分かる。
実名で報道したからといっても、実際に被害に相当する損失が測定することが不可能だからだ。
※実名報道されなかったらといって損失がどの程度出るのかも測定しにくい。

「シニタイ」と考える人はそうとう追いつめられているか、医学的・健康的に相当異常な状態になっていることは明らかでインターネットで知らない人と会うことがまともにできる判断能力や社会性が有るとは考えにくい。
このような人が殺害されてしまったのだから、相応に関心度が強いのだと思えて仕方ない。

  • 実名で報道することが利となるのか?
  • 実名で報道したら損になるのか?
  • の比較は当事者だけでなく、社会で考えると、比較・検討するには、難しいものがあると思う。

社会の中よりも、被害者遺族が第一ということで実名報道を辞めたとしても余波は軽微に思えてしまうことも否めない。
この後何十年も報じられるということがあってはダメージで大きいとは考えられますが初動ではやむを得ないのではとも思える。

死者への礼が少ない姿勢

日本では著作権などの権利でも亡くなった後の人の権利期間は短いことが多い。
侮辱罪の適用に関しても死者ヘの判定は割と無いといえる。⇒言いたい放題Youtuberがのたまわるるような現状
基本的に人は自分が居るライフステージからしか物事を判断できず 他人のことについて思いやる姿勢はないのが現状だ。
法律も同様で、問題提起され法改正されないかぎり延々と行われる。⇒しかし規制されている自転車の二人乗りする高校生はいつまでたっても無くならないし飲酒運転するバカはなくならないように根絶とすることは到底不可能。

実名報道の意義
  • 死にたがることでSNSで知り合った人に殺害された人
  • 死にたがる人を止めることが出来なかった遺族
  • 普通に考えても世間的な風当たりが良くなることまでは理解できるが
    ここに助けの手をいれることの方が重要なのではと思えてならない。
    実際 家族内での殺害や、10代の凶悪な殺人事件などが稀に起きていることからも、一定の問題に関しては注視すべき観点が有っても良いのだと思う。

  1. 自殺した人が悪いとか、
  2. 犯行に加担し人が悪いと
  3. 単純にいえず、

  4. それを報道するマスコミが悪いとも到底言えない問題だと思う。
  5. しかし受け手の人たちが何も考えることが無い現状は致命的な欠陥だと考えるべきだろう。

この手の問題に真摯に考える人は遺族くらいなんだろうなとしか思えないため改善されにくいテーマなんだろう。