どうも作品と、作者の基準が曖昧な人がいる?(多分釣り記事だろうなとは思いますが。)
というはてなブログのとある記事を見て思ったこと。
作品が、作者の外見や性格(人格)等で、評価されることがあればそれは不当な物差しだろう。
万に一つもそのようなことがあって嫌いという人が居れば、その人の価値観が疑われそうだ。
万一一枚絵を見たときに、その書き手の顔が脳内で描かれる超能力を持っている人だとしたら、例外としておく。
中傷かきこみがバレタ作家
2ちゃんねるで、同業者を中傷するような書き込みをしていたということが露見した某ライトノベル作家がいたが、あの人の作品が、面白くなかったか?というとそれなりには楽しめる内容ではあって、その事は普遍だと思う。
結局作品と、作者の、行為はなんでもかんでも同一視されるべきものではないだろう。
過去にも、様々な事件などで、問題を起こす著名人とかは存在していただろうけれども、問題を起こす以前の作品などが、評価が下げられるほうが不自然だと思えたりする。(盗作などは除く)
こういう風に表示されるのもまぁ。
仮装と現実
某ネズミランドのキャストが、ムキムキマッチョがリアルネズミーな格好で、他マスコットが特殊メイクだけで成り立っている格好で働いていたら誰も利用しないだろう。
メイド喫茶なども、メイド服であることが重要な要素で、万一メイド服とは逸脱した格好だったら、その価値は無い。
ポケットモンスターなどもゴテゴテの格好いい系統のキャラクターだと受けないだろう。
3Dが2013年度時点ではスマホなども再現できそうなスペックなのにも関わらず、ソーシャルゲームの主流は2Dゲームだ。
地域興しに萌えキャラの採用やマスコットが出始めたのも21世紀になって顕著なわけで。
記号化されたものに、価値を見出すことは多々ある。
むしろシンプルであることに強みがあることが有ると考えられる。
実写映画の俳優なら多少現実の人物の人物像が影響を与える事があることはあれども、作られたショーとしての作品が、中の人の外見とか思考や性格などで、評価が下がる事もないだろう。
もしも下げられる事があればそっちの方が不当な問題だろう。
接客業などで清潔さが問われるのとは根本的に、作家と作品においては関連性が無いポイントなので、割とどうでもいい気がするのでした。
ついでにいうと、もしもアニメを声優の顔をはめ込みして表情なども連動させて、見ることが可能だったら、悲惨な事になりそうなのはいうまでもないだろう。
元のテーマが2次元だったことから考えると、他にもアニメだと、アニメーターの顔とか想像もできないほど裏方の人間なので、未知の領域だったりする。
中の人をいちいち気にするほうがどうかと思う。
豚肉の生姜焼きを食べるときにその豚がどんな顔だったのか連想して食す人はいるだろうか?
牛のステーキ肉を、どんな牛だったのか考えて食べる人はいるだろうか?
この唐揚げはどんな人が捌いて、調理して作ったのか考えて食べている人はどの程度いるのだろうか?
そんなことを少し感じてしまった。