死にたいと思う時のことは、いくつか要素がある。
過去にシニタイとか想像してしまうことはあるわけですが、
それでも何とか生きていますからね。
死にたいというよりも楽になりたいが正しい気がする。
大抵シニタイと思うには原因がある筈だ。
その原因さえ解消できれば、解決する糸口は見えてくる。
ただ世の中の自殺の推移などを見ていると多々考えさせられることが多い。
絶望
色々な要素で行き詰った時に死にたくなる。
金銭的
お金が無くなると電気ガス水道といった基本インフラが無くなる
長期化すると家賃が払えなくなり追い出される。
結果路頭に迷う。
仕事をやっていて収入があれば良いが過度の借金などがあると生活立て直しは困難になる。
- ホームレスになると分かりますが家を借りるのも困難。
- 就職も困難。定職・収入を得るのが困難。
- 健康を維持するのも困難
社会復帰が遠のくばかり。
ホームレスようのシェルターなども市区町村単位で運用されていたりするようですが実用的かどうかは甚だ疑問。
健康的
疾患や、うつ病その他。
これは仕事が出来なかったり、収入が途絶えたりという根本的な所から、
疾患やけがによる肉体的な痛みなどからの苦痛によるダメージが大きい。
救急車で運ばれるようなことになると金銭的にも二十苦に陥ったり、負の連鎖が叩き込まれる。
起きたら病院のベットの上で(色々とアレ)な事になっていた過去とか割と忘れ去りたい記憶。
社会的
孤独死があるように今の現在社会一人暮らしをしている世帯は多いと考えられる。
就業していたりすれば会社という組織に属している為コミュニケーションが有る為、会話不足などには陥らないと考えられますが
自宅に帰ったらずっと一人である。
もしも長期的に病気などで欠勤することが続くと万一の時に誰にも助けを呼べないなどが考えられる。
独身スタイルを強気に描くパターンも多い世の中ですが、独身でいることのメリットデメリットの他に、
鬱の発見だとか疾患に気づくのだとか、様々な要素で一人暮らしの孤独生活は、負担は大きい気がしてならない。
一人暮らしは致命的にセーフティーが皆無と言える。
相談
何かしら専門家、あるいは複数の人に相談できる環境が望ましい。
下手に親しい人よりも専門のアドバイスが出来る人が好ましい。
近しい人に相談したところで堂々巡りはよくあることで、真剣な対応策を考えれる知識がそもそもないことが多い。
適切なアドバイスは専門の人にお願いするのが無難だろうろ。
就職先が新卒で決定せずに自殺する男性というのも見かけましたが、これとか望む企業への内定が取れなかっただけであり、世の中には中小企業の数を数えていれば山ほどある。全て面接受けに行く方が困難な数だ1社も受からないということにチャレンジしてみてれた方が面白い気がする。
独立すればいいという手法が無くもない。
病気に関しては、万能薬が出来るものでもないので、割愛
とある年齢の時に大学病院の医師に「失明する可能性がゼロではない」というような内容を言われた時には引いた。
金銭的な問題は、法テラスにいって弁護士相談か、様々な相談先で相談するほかない。
自分だけの問題であれば話はスムーズですが下手に家族・親類が絡む話になるとハードルは高くなりますが辛抱強くやらないと難しい。
社会的な問題に関しては行政が介入しにくい面があったり、
少子高齢化で労働世代はわりと問題点としては蔑ろにされている感じは否めない。
しかしながら40代50代などでも孤独死とは無縁では無いだろう。
世の中には
パワハラ推奨社労士炎上中『本人が自殺したとしても、うつの原因と死亡の結果の相当因果関係を否定する証拠を作っておくことです』こういう事案を起こす輩もいるので
生きていないと死に損だと思うことは多々あります。
小中学生がYouTubeとかTWITTERでシネ書き込みする行為に本当腹が立つものです。
彼らは死について何も理解していないのでしょうけども。
「一遍、死んでみる」と言えたらおもしろそうなのにと夢想してしまいます。
死にたいと思う時のことエピソードは割とあるのですが敢えてここでは記載しません。
書いててもブルーになるだけですので。
[char no=”1″ char=”ぬふふ”]性同一性障害でTSの人に対する例えで
無人島に居ても性転換を望むのか?という問いがあるが、
性の自認と比較すると、
「死にたい」は⇒「楽になりたい」だと思うので問題解決はハードル低いと思うんだけど、どうでしょうか?。[/char]